【第1512回】俺と適当

わしの場合、結構適当に生きている。

此処で言う「適当」とは、「いい加減」という意味では決して無い。

適当(大辞林による解説)

(1)ある状態・目的・要求などにぴったり合っていること。ふさわしいこと。また、そのさま。相当。 「―な例」「―な結婚相手を世話する」「君主政治なる者は殊に大国に―するの理を/民約論(徳)」

(2)その場を何とかつくろう程度であること。いい加減なこと。また、そのさま。 兵隊言葉からの転化であるといわれる。 「―にはぐらかす」「―なことを言う」 「大辞林 第二版 (三省堂) 」より引用

上記で言うと(1)の方の意味に近い。要するに「多すぎず、少なすぎない」「高すぎず、低すぎない」「密すぎず、疎すぎない」ってことかな。

昔のわしは、「考えすぎる」タイプの人間だった。なにか行動を起こす際に、ホントにこれでいいのか?失敗しないか?あの人はどう思うだろう?他の人からはどう見られるだろう?・・・とにかくあーだ、こーだ考えすぎて、結局行動できないというタイプ。

あーでなければいけない、こーでなければいけない、と、自分で勝手に思い込んで、勝手に境界を決めているフシもあった。


それがあるトキ(どのトキかはっきりとは覚えていないんだけども)から、基本的思考が「適当でいいやん」に変わった。それはわしの場合「考えすぎない」であり、「全く考えない」ではない。「適当に考える」のである。


ある程度の予測は立てるが、適当なところでやめる。考えすぎない。その予測も基本的に成功イメージだ。やる前にまだ起きてもいない事態を想像して困るのではなく、まずやって、もしヤバくなったとき、そのとき困ればいいんだよ。って事なのだ。


あと、昔は自意識過剰なところもあった。要するに「人の眼を気にしすぎ」ていたワケだ。ぶっちゃけ「手前のことなんて言うほど誰も見ちゃいないよ」って気づいたトキから、ある種の開放感すら覚えた。もちろん「全く気にしない」訳ではない。「適当に気にする」くらいでいいのだ。


「○○しすぎる」ってのはそれだけで自分で自分を縛り付けている。それってバカバカしいと思わないかい?


わしは今日も「適当に」生きる。もちろん「いい加減」にってことではなく。


コメント

タイトルとURLをコピーしました